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陰陽シリーズ~集中と執着~

こんにちは、広島ストレッチ政本です。陰陽シリーズ今日は集中と執着について考察していきます。
自分でもなぜこの題材を選んだのか?もっと言えばこの陰陽の説明、、ブログを再開したのが陰と陽だったので流れで陰陽シリーズになってしまったのですが、ブログ見る限りでは完全に変な人ですよね。
安心してください、実際はもっと変です(笑) ということで今日はかなり難しい所にツッコんでいきます。

持続的集中は前回お話しさせて頂いた、強い愛で発動する真ん中【サットバ】でした。(まっすぐ一直線のイメージ)
執着も実はとても似ているんです。強い愛なのは間違いないのですが、真っ直ぐではありません。歪んでいてエネルギーが通り切らず、ところどころにうっ滞しています。
集中と執着の違いとして身体で現れるのは無意識の力みです。執着の場合はこの無意識の力みが出やすく、その原因としては真ん中を使えていないから、もっとツッコんでいうと【自己都合の愛】のため純粋な真ん中を使えず、どこか歪んだ形として使う結果が無意識の力みとなって現れます。かといって無意識の力み全てが執着というわけではありません。ですが基本的に無意識の力みは本来の使い方とは違った使い方によって出てきます。執着の他にも、拒絶、不快、反感、などがあります。


まとめてみると、持続的集中は真っ直ぐな強い愛であり、執着は歪みのある自己都合な強い愛ということになります。とはいえ、人類全体をみてこの持続的集中の強い愛をし続けている人はどれくらいいるのでしょうか?過去の聖人、偉人、ブッタ、キリスト、ガンジー、聖母マリア様。 普通の人間には遠く及ばない境地ですが、それでも生きている限り目指すべき場所なのかなと思います。それは修行、苦行的に目指すというよりは(生きることが修行のようなものなので)人生を楽しんで、どんな状況であろうが、心から笑顔でいられる自分になっていけたら良いなと個人的には思います。

辛さも一緒に楽しめる、そんな人生は最高ですね。ではまた。



 

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